ある日の新聞広告を見て欲しくなったのが望遠鏡。
おそるおそる顔色を伺うと
買ってやろうの親父のひとこと。
こうして口径6センチのアクロマート対物レンズの屈折望遠鏡がやってきた。
来る日も来る日もベランダから星を眺めた。
街なかなので暗い天体は見えないのだけれど
月、惑星、二重星などを見ていた。
小学校の頃といえば
学校から戻ると妹の世話(散歩やら少し遊んでやったり)
そして、近所の広場で草野球、陣取り、ろくむし、缶蹴りなど
遊びに余念がなかった。
休み時間にはぼっと外を見ているおとなしい少年であったが
なぜか地図が好きで、小学校の頃には
日本地図や世界地図は描けるようになっていた。
タナナリブ、アリススプリングス、ベルホヤンスクなどは日常語だった。
大人になっても国土地理院の地形図を収集するようになり
地図を見てはまだ見ぬ地形や土地に思いをはせていた。
それが高じて川好きとなった。
小学校の頃からすでに
自転車に乗って川の調査に出かけていた。
といっても、川幅や水深、生き物などを観察するだけなのだけれど。
お、これが地図で見た太田川の上流か―。
こことつながっていたのか―。
意外に水はきれいじゃないか―。
ひとり悦に入っていた。
川を見て癒されるのはいまもまったく同じ。
さて、中学になると天文学や物理学の本を読むようになってきた。
こうなるとデパートに売っているような望遠鏡では物足りなくなってきた。
身体が大きくなって体力がついてきたこともある。
そこで調べてみたところ、高橋製作所が良さそうだと思った。
今度も父を説き伏せて
10センチ反射赤道儀1型を買ってもらった。
高度経済成長期は誰がビジネスをしても
それなりに飯が食えた。
いまの時代に親父が生きていたら
子どもに望遠鏡を買ってやるような甲斐性はなかったのではないか。
いまだにその呪縛に浸っているのが商店街なのだけれど。
高校になる頃には市街地の空で満足できなくなり
父の車に積んでもらって
人家のまったくない山中に望遠鏡とともに降ろしてもらい
翌朝迎えに来てもらうようになった。
深夜の山は得体の知れない音にあふれている。
ボキボキ!
フミャール(鳴き声のような)
ミシ ミシ (沈黙)ミシ ミシ ミシ…
けれど星を見るのに夢中だったので怖くなかった。
暗闇に目が慣れてくると
おぼろげながら山や樹木の輪郭が浮かび上がる。
星明かりで自分の影が足元に落ちていることに気付いた。
オリオン大星雲が舞い立ち、すばるがさざめく。
歌のような夜の静寂で星空は饒舌である。
南の銀河面をオルソ40o25倍の低倍率で流していくと
次々と星雲星団が飛び込んできて時間の経つのを忘れるほどである。
ぼくは創立まもない私立中学校に受験で合格した。
この学校には真新しい五藤光学の20センチ屈折望遠鏡があった。
これで見たオリオン大星雲のまぶしいまでの光の濃淡は一生忘れられない。
現在と違って、学校の周辺は萱原であり、暗く静かであったから。
当時の望遠鏡メーカーは百花繚乱ともいうべき賑やかさだった。
アマチュア向けに意欲的な機材を提供していたのは
板橋区の中小企業の高橋製作所であり、
TS式と名付けられた反射と屈折を
ペリオディックモーションが○○秒以下とうたう
堅牢で高精度な赤道儀に備え付けられたさまは
憧れとしかいいようがない。
当時は、ポータブル赤道儀や
3枚玉セミアポクロマートレンズなども販売しており、
高度経済成長の落とし子「光害」から逃れて
多くの人が暗い星空を求めて信州などに遠征していた。
タカハシではその後の眼視望遠鏡ミューロンや
フローライトやトリプレット型に発展し
世界中にファンを持つようになった。
http://www.takahashijapan.com/
ベストセラーのミザール10センチ反射赤道儀や
カタディオプトリック式の15センチ反射を販売していたのは
日野金属産業。
http://www.mizar.co.jp/
アマチュア向けにCPの高い機材を販売していたアストロ光学、ビクセンやカートン光学、
http://www7a.biglobe.ne.jp/~astro-opt/
http://www.vixen.co.jp/product/at/index.htm
http://www.carton-opt.co.jp/
自作向け部品を販売していたスリービーチ。
http://threebeach.com/
天文台と個人用の両方を販売していたのは西村製作所と五藤光学。
西村の反射経緯台はその美しさと実用性で群を抜いていた。
五藤光学はアマチュア向けにはマークエックスというシステム赤道儀を販売していた。
http://www.goto.co.jp/telescope/index.html
http://www.nishimura-opt.co.jp/
アスコのブランドで質実剛健なニュートン式反射を出していたのは旭精光研究所。
公共施設用が多かった三鷹光器。
なかでもアマチュア向けに提供したドイツ式赤道儀GN-170型は
その美しさ、仕上げの良さ、移動式と精度を両立させた設計から
天文ファンの垂涎の的であった。
http://www.mitakakohki.co.jp/telescope/lineup/gn-series.html
ニコンやペンタックスといったカメラーメーカーも
低分散レンズを使用した屈折望遠鏡を販売していた。
価格は高めであっても像は良いとの評判であった。
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星はいい。
銀河がたゆたい、惑星が瞬きもせず燦々と光を注ぎ
流星が遊ぶ星夜を散策する楽しさはなにものにも代えがたい。
久しぶりにタカハシの10センチ反射赤道儀1型を取り出してみた。
ぼくは物持ちが良いので、ライツミノルタやミノルタの一眼レフなど
よく使っているけれど極上の状態で保持できている。
この反射も一度も再メッキしたことがないため
反射率(=コントラスト)は落ちている。
どこかで再メッキするか、
同焦点の新しい鏡に置き換えるかを検討しているけれど
星空と内なる夢世界をつないでくれた望遠鏡だから。
でも、最新の2枚玉フローライトか3枚玉アポクロマートの
夜空に浮かび上がる鮮鋭度の高い視野も覗いてみたい気がある。
2014年10月8日、皆既日食がある。
いまも現役の反射望遠鏡

6×30mmのファインダーと1脚の斜鏡保持

赤道儀の塗装はびくともせず光沢すら放つ

高橋製作所の銘板

10センチF10の長焦点にオルソスコピックのアイピースで眼視は無敵。
球面収差はほとんどなく視野中心は鮮明、
コマ収差も感じられず視野周辺部まで平坦。
もちろん色収差も皆無。
フローライトに劣るのはコントラスト、鮮鋭度、像面の明るさなど。
ニュートン式でF6〜8程度の反射が各社のカタログから消えているけれど
ニッチ市場としてはマーケティング上おもしろいはず。

斜鏡は短径25o。オルソ40mmも使える。

赤経・赤緯の微動はなめらか。指1本でも回せるぐらい軽い。
しかしガタは皆無。
おそらくギアまわりが長期間安定度の高いグリスで満たされているのだろう。
この赤道儀にいまのタカハシの10センチ屈折(FC-100DまたはTSA-102)
を載せてみたいが、鏡筒バンドが取り外せるタイプではない。
何か妙案はないものだろうか。

久しぶりに無水アルコールとシルボン紙で鏡面を拭いてみた。

斜鏡も。この後の光軸修正も半時間程度で終わった。

接岸部のラック&ピニオンにグリスを注油

今宵は何を見よう?

この時代の日本製の製品は魂が込められている。
つくりが良くて、精度が高くて
実用に裏打ちされたデザインも秀逸で。
いまの時代は少子化とデフレ経済などで
若者からものづくりの楽しさを奪っているようで。
技術が継承されないと大変なことになる。
経済産業省は最先端分野ばかりでなく
どこにでもある町工場のような企業をも支援できればいい。
閑話休題。
鏡を清掃前に、中秋の名月(2014.9.8)を手持ちコリメート法で撮影
ぼくの高橋製作所10センチ反射赤道儀I型は
一世を風靡したなつかしの望遠鏡ではない。
いまも現役。これからも動き続ける機材なのだ。

私のTS100も現役です。夜中に玄関先で惑星や二重星を観ていると散歩している人に見せてと言われて見せるのがこのごろ楽しくなりました。
一つだけ気になったのが、五藤光学が後藤になっていたところでした。お邪魔いたしました。
中学のドームに収められた20センチF15屈折赤道儀の集光力に驚き、高倍率で楽に見える自動追尾は夢のような操作感でした。機能性がデザインとして昇華された良い望遠鏡でしたね。
いつかは私設天文台と思っていましたが、いまだに実現していません。
こないだ77年モノの1型をcatさんより購入しました。
同じ頃の中古D型とあれこれ見比べています。
甲乙つけがたいところが楽しいです。
黒塗りのタカハシは好いですねぇ。
塗装色と一緒に「精密機械」の力強さも薄らいでいった気がします。
昔の天文書には、これらの写真がよく出ていました。
こういった情報も折々ついばんでゆくつもりです(懐古趣味)。
それではまた。
D型は浅緑色の塗装でしたか?
それはそれで垢抜けした雰囲気を感じました。
昭和のものづくりには作り手の夢と情熱を感じます。
それが半世紀近く経っても輝きを失わないのはこの国の当時の勢いでもありますね。
実は一度も再メッキをしていないのですが
当時のカタログには増反射処理が施されて反射率が高く、かつ経年変化にも強いとうたわれていた記憶があります。
(とはいえ、数十年は想定されていないでしょう)
いまとなってはφ24.5oのアイピースも古典ですが、それはそれで温もりを感じます。
双方とも黒色です。
いずれも現役で使用できています。
レンズ内部にホコリがついてたり、鏡面の一部が劣化していたりはしていますので、オーバーホールも検討しています。
タカハシが躍進し始めた頃の浅緑の赤道儀も、それなりの機能美はあると思います。
近年の薄緑色は、下処理のアルマイトを省略しており、塗装強度があまりなさげなのが少々残念に思っています。
そのへんに本気出したら凄いお値段になるのでしょうけど(今でも十分高価いですが)。
個人的には、ツアイスサイズの望遠鏡にはツアイスサイズのアイピースが似合うような気がしています(いよいよ懐古趣味...)。
一応、新しい便利な機構が使えるなら、適宜取り入れるつもりでもいます。
駄文失礼しました。
タカハシの鏡筒は他にも所有しておりますが、反射でF10の1型はおっしゃるように希少ですね。
先日タカハシのOr40mmを入手したので、これを使って星空散歩してみようと思います。
また、1型の日記が書かれるのを楽しみにしております。
同じ型の望遠鏡を持っている方とは、まるで旧知の間柄のような気がします。
F10の主鏡にオルソ40oなんていまでは見かけませんが、広視界すぎすかえって覗きやすいかもしれません。
良い機械は半世紀を超えて現役です。
でもこの間に、天文に関する著書をむさぶるように読んでいた著者の方々(中野繁さん、星野次郎さん、藤井旭さんなど)が星になられました。
ときどきは紙のスカルナテプレソ星図を眺めているこの頃です。
再メッキが成功した暁には、デジカメでの撮影が楽しみです。
10cm反射1型のピラー脚仕様の凜としたたたずまいは最高ですね。高度経済成長期の末期、日本の中小企業のものづくりが達したひとつの頂点ではないかと考えます。私はどうしても持ち運びの必要ありとのことで木製三脚にしましたが、アイピースなどを置ける利点はありますが、赤経赤緯の可動域ではピラーが有利です。
私の場合、ミザールのMMDというモータードライブを装着して半自動化していました。当時のタカハシ製は水晶発振のステッピングモーターだったかと思いますが、高価なオプションで子どものおねだりの域を超えていました。
まずは、アイピースにセメダインを伸ばして十時を張り、鏡筒の筒先に小さな豆球で明視野照明装置としておりました。ペンタックスSPFにフジクロームR100を入れて手動ガイドで夏の銀河をねらっていたことを思い出します。
湯本さまの愛機は再メッキされるとのこと。もともと長焦点鏡ですから収差は少ないので見え味が楽しみですね。年末が迫って参りましたが、お身体をご自愛のうえ観望をお楽しみください、