2012年08月28日

「無人島に生きる十六人」


 ときは明治の半ばのこと。帆船の龍睡丸(中川船長)は、北方の島と内地をつなぐ連絡船の役割を担っていた。冬の間は氷で閉ざされて仕事がないことから、南方の海で海洋調査を行おうと出港した。ところが、運悪く日本の南方海上で強風のため投下した錨を失ってしまう。さらに猛烈な風で帆柱が折れた。そこで船長は、海流に乗ってハワイに到達し、そこで本格的に修繕を行って日本へ帰ることとした。
 ハワイで修繕を終えたあと、ミッドウェー方面へ向かって、暗礁を避けながら島伝いコースで日本へ戻る航海を開始した。このコースは座礁のリスクはあるものの、食糧となる魚が捕れること、島で真水の補給が可能である。ところが、強風で緊急停泊中にまたも錨が切れ、風に吹き付けられて珊瑚礁に座礁してしまった。打ち寄せる波で船が大破するまで数時間と予想できた。
 座礁地点から少し離れた場所に岩があった。そこで船に搭載されていた伝馬船に運転士と水夫長が乗り込み、岩への上陸をめざして波の静まる合間を見て本船から投入したが、大波に呑まれて転覆した。しかし、次の瞬間、ひっくり返った伝馬船が岩に乗り上げられ、2人の乗組員もなんとか岩に這い上がったことが確認された。一同に安堵の空気が拡がった。伝馬船が沈没すれば海上を移動することができず、例え十六人全員が岩に上陸できたとしても数日も持ちこたえられなかっただろう。
 先に上陸した2人が岩にロープを張り、乗組員全員十六名が船から岩にロープを伝って上陸できた。難破生活で役に立ちそうなものを可能な限り岩に運び込んだ。この辺りは映画のような描写である。
 伝馬船は、本船から運び出した物資と乗組員を乗せて、十六人が生存できる島をめざして船出した。ほどなく、小さな砂浜を認めて上陸した。
 そこは、ミッドウェイ諸島の一角、パール・アンド・ハーミーズ礁の小さな島。標高は2メートルで樹木はなく真水もない。水と食糧が見当たらないなかで、船長以下十六人が一致団結し、ルールを決めて、島の暮らしを楽しみながら帰還のためのあらゆる方策を考えて実行したのがこの物語(実話)である。外国の難破物語では、考え方の違いで派閥や争いが生まれ、組織が破滅する筋書きが少なくないが、我が日本の船員には無縁であった。
 大破した母船の木片が漂着したので砂浜を盛り上げて見張り矢倉をつくった。1メートルでも視野が高いと水平線の見える範囲が拡がるためである。
 真水の確保は、雨水を貯めるとともに、非常用に蒸留装置も開発した。さらに、草が生えていることから海面に達しない浅い井戸を掘って、にじみでる水を溜めるしくみをつくった。
 塩づくりにも成功し、食べ物の味わいが飛躍的に改善した。
 食糧については、魚釣り(道具も手作り)、ウミドリの卵、ウミガメの捕獲などで調達した。特別な日には数少ない缶詰を楽しんだ。雨の日には各自がみんなの前で物語をした。若い訓練生には、勉学の場にもなった。
 島での生活に目処が立つと、周辺の小島も探索して食糧調達の基地を設置した。定期的に本部島と小島(宝島と呼んだ)を人員交替で行き来しながら数年の生活にも耐えうるしくみをつくった。
 宝島には食べられる草ブドウが生えていた。食用かどうかの判断はつかなかったが、船長は一か八かで食することを禁じた。ある日、海鳥の糞のなかからブドウの実を発見した乗組員がいて、これなら人間でも食べられると判断してこっそり食べたところ、安全でおいしいことが判明した。
 また、ウミガメを捕らえてロープで結び、ウミガメの放牧場を整備した。非常時に備えて、島に住むアザラシをペットのように手なづけた。ただしアザラシは食糧とせず、病人が出たときだけ胆を薬にする目的であったが、乗組員になついてしまい、乗組員が呼ぶと近寄ってきて、なでられると眼を細めるようにまでなっていた。
 アホウドリにはエピソードがある。魚の干物をいっせいにさらわれたことに腹を立てた乗組員のひとりが捉えたアホウドリ1羽のくちばしを縄で縛って見せしめのため離したところ、仲間のアホウドリ数羽が寄ってきて必死に縄をほどいた。
 難破生活を送る十六人には悲壮感はなく、みんなが役割を担い、一人は十六人のために、十六人はは一人のためにを胸に刻んで将来への備えを怠らなかった。少しでも改善の余地があることにはすぐに取り組んだ。歌や勉学など人間らしい時間を持ちながらも規則的な生活を営んでいた。
 遭難して数ヶ月が経過したある日、昼夜を問わず交替で見張りを続けていた当番員が船影を認めた。あまりのうれしさに声を出すことができなかった。たちまち全員招集して、薪を燃やす者、伝馬船で出航の準備をする者など日頃の訓練のようにてきぱきと行った。漂流者の合図に気付いた船は錨を降ろす場所を見定めながら、彼らの島から12海里(22キロ)離れた場所に停泊した。
 伝馬船には船長以下3名が乗り組み、停泊船めがけてこぎ続けた。やがて一昼夜こぎ続けて伝馬船が追いついた船は、日本の帆船「的矢丸」であった。甲板に上がった中川船長は、友人の長谷川船長を見て双方とも驚いた。
 島を離れる日、船長はこう言った。「一人一人の、力はよわい。ちえもたりない。しかし、一人一人のま心としんけんな努力とを、十六集めた一かたまりは、ほんとに強い、はかり知れない底力のあるものだった。それでわれらは、この島で、りっぱに、ほがらかに、ただの一日もいやな思いをしないで、おたがいの生活が、少しでも進歩し、少しでもよくなるように、心がけてくらすことができたのだ。」
 明治32年12月、十六人はひとりも欠けることなく母国の土を踏んだ。

 外国の漂流物語は作り話だが、これは実話である。日本に無事帰還できたのは幸運もあったが、仲間や組織を信じて冷静かつ地道にしかも希望を忘れずに活動したことが成果につながった。ひとたび日本に生きて帰るという大きな目標を設定したら、そのための行動計画を立てて地道に取り組むこと。人は、共鳴する他の人の願いを自らの力に変え、自らの力は仲間の力となって、また自分に戻ってくる。このことはロンドン五輪でも日本が飛躍した種目で実証されたと思う。

 「無人島に生きる十六人」(須川邦彦著)は、明るい話題ばかりではない日本で、未来を照らす教訓だと思う。一人ひとりの使命感や連帯感を良いかたちで引き出すことを、組織のリーダーは行動の軸としたい。何が良いか悪いか(事業仕訳や白黒をつけること)ではなく、どんな気持ちでどんな態度で取り組むかのほうが大切だと思う。それぞれの役割に規律と使命感を持って楽しく活き活きと動けること。政治も行政も企業も、そこから始めてみたい。




追記 スマートフォンの画面をいくら眺めても人生は拓けない。小さな文庫本にもひらけた世界がある。

 
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